多治見北高同窓会の皆様へ

こんにちは、同窓会長伊藤恒一(愛児幼稚園、精華小学校、陶都中学、12回生、ハンドボール部)です。平素より同窓会活動にご理解ご支援を頂きありがとうございます、心より感謝申し上げます。

現在同窓会長として3年目を活動しております。皆さんに同窓会の仕事を簡単に説明します。2月に本部役員会、同日同窓会総会、5月本部役員会。6月関西支部総会出席。7月北高生20名程を引率して東北大震災復興支援ツアー。9月本部役員会。同窓会ゴルフコンペ(100名程)、10月同窓会広報誌発行。11月虎渓山清掃と研修会。11月東京支部総会参加。以上が主な活動です。

特に会長として私が力を入れているのは、「東日本大震災復興支援ツアー」です。生徒に復興中の現場を見せ、被災された方のお話を聞き、体験を生かして将来大学や地域での災害ボランティアのリーダーになって欲しいと考えています。生徒達には食事代のみの負担で参加をしてもらいます。

今年の支援ツアーの概略を説明させて頂きます。北高生16人、西高生2名と共に、7月29日土曜日10時30分セントレア空港から仙台空港に飛び、空港からチャーターしたバスに乗り、東北震災後最も復興を遂げた女川を見学し、74名の児童と教師10名が津波で亡くなった石巻大川小学校で遺族会の紫桃さん(2回目)から当時のお話を聞きました。

お話の後、西高の生徒さんがお礼と感想を述べた時、涙でほとんど声になりませんでした。その後、南三陸町防災対策庁舎の視察をし、19時頃やっとたどり着いた気仙沼の浜の家さんにて、海鮮と山形牛でもてなして頂きました。実は、浜の家さんは震災時に津波でお店が流され、別の地にお店を再建されています。食事をしながら女将さんからお店再建のお話を聞いて、高校生達も感動していました。

翌日は早朝6時半より、朝食というタイトなスケジュールでしたが、遅刻する生徒もおらず、安心しました。(昨年は3名の北高生がバスの出発する時間にまだ部屋で寝ているというハプニングがありました)陸前高田市では、奇跡の一本松を車窓より見ながら、大船渡津波伝承館へ向かいました。岩手県では、カモメのたまごで有名な、さいとう製菓の工場内に伝承館があり、元専務の館長さんが、津波当時に自らが撮影したビデオを1時間ほど流しながら、避難の大切さを説明されました。

その後、三陸鉄道南リアス線に盛駅から釜石駅まで一時間ほど電車に乗り、途中の駅で記念撮影もしました。釜石では、ミッフィーカフェかまいしで食事をしながら、復興のリーダーをしている石井さんのお話を聞き、小学校時に被災した釜石高校の女子生徒も5人参加して生徒同士で当時の話などをしていました。
その後釜石市内を視察し、ラグビーの試合も30分ほど観戦し、15時30分ごろ釜石を後にし、花巻空港に向かいました。花巻空港では、タイトなツアーの終わりが近づき安堵した生徒たちが楽しそうにお土産を買い、レストランで食事をしているのを見て私もほっとした気分になりました。

空港を18時50分に出発し、小牧空港・勝川駅・多治見駅に21時頃、無事到着しました。帰りの飛行機で隣席の桜井北校長が私に「行くときと帰る時では生徒たちの顔つきがすっかり変わりました」と言われたのが印象的です。このようなツアーの補助金、広報誌発行の費用の為、是非皆様には協力金の振込のお願い致します。

最後になりましたが皆様のご健康とご多幸を祈念させて頂きます。

同窓会長 伊藤恒一(12回生)

卒業から48年! 第4回同窓会(8回生)

暑い日が続き、秋が来ないのかと思われた、2016年10月2日、オースタット国際ホテル多治見にて、8回生学年同窓会が盛大に行われました。
同窓生112名と恩師、斎藤誠先生、安藤一郎先生、安藤富雄先生にご出席いただき、旧交を温め、豊かな時間を過ごしました。
不思議なもので、自分の年など忘れてしまい、高校生なってしまいます。正にタイムスリップです。 あの頃に戻り、色々な事をいっぱい、どんどん思い出します。
同窓生に会えるのは嬉しいものです。
生きていてこそ楽しい思いも出来るのですが、永眠した人が33名もいます。 冥福をお祈りいたします。
同窓生による講演会が2つありました。 「美しい老後について」川喜田節代さんから、今まさに私たちが直面している、認知症等のお話がありました。 もう手遅れかな? 心配したのは私だけかも。  もう一つは「ブラック企業について」吉田美喜夫さんからお話がありました。 とても深刻な社会問題だと思います。 お二人ともさすが講演のプロで、よく理解でき、勉強になりました。
今回の同窓会は、ちょっと変わっていて、途中、ミニジャズコンサートがありました。
とっても可愛いお嬢さん、粟田麻利子さん(34回生)に何曲か歌っていただき、おしゃれな気分にさせてもらいました。 校歌も一緒に歌うことが出来ました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、次の4年後を約束し、クラス別の2次会に出発しました。

小嶋清子記(8回生)

旅行・そして女子会!!

  • 昨年から今年にかけて、旅行と女子会がありました。
    女子会はもとより、旅行も都合で参加できず。それぞれ参加された方に寄稿をおねがいしました。
  • 10回生によるプチ修学旅行。
    第1回を平成24年に行い、また行きたいとの声があり、第2回を28年11月に錦秋の京都、奈良へ。依水園、東大寺、春日大社、唐招提寺、平等院、醍醐寺、伏見稲荷とまさに修学旅行。天気にも恵まれ充実した2日間でした。依水園の絵に描いたような美しさ、春日大社の鮮やかさ、醍醐寺の紅葉、伏見稲荷の賑わい、皆、印象深いものでした。中学時の京都・奈良とはひと味もふた味も違う、大人の修学旅行を満喫できました。車中の思い出話など、同級生と同じ時間を共有する素晴らしさ。いくつになっても変わらないものだと、改めて実感しました。(A.K)] 続いて、入学以来半世紀を経て、女子会が発足しました。
  • プチ修学旅行参加してる間、他の女子たちどうしてるかな?会いたいなー。
    旅行や夜の飲み会は無理でも、ランチだったらどうかな? 女子会やろうよ。! 早速、みなさん
    に案内したところ、20名が参加して下さいました。家庭、仕事のあるなか、関東、関西からも時間を作って参加下さいました。場所は、名古屋のホテルの1室。卒業以来初めての方もあるため名札も用意。当日、名札と顔を見比べ、「あー○○さんでしょ?道で会ってもわからんわー」「○○さん全然変わっとらんねー」と、そこらここらで、悲鳴にも似た声、声、声 (部屋を確保しておいてよかったー) それぞれ卒業以来何してたの、今は?を話しているうちに、あっという間の時間切れ。移動しての2次会のティータイム。そこでも、おしゃべりは尽きず夕方で解散。又の機会を約束して・・・あの3年間が、私たちの心のなかに大切に残っていて、卒業以来48年の時間を感じさせないものがあるのだとつくづく感じました。本当に楽しい1日でした。(K.M)]
    以上報告でした。女子会という新しい受け皿が出来て、活動の幅が拡がることがが期待されます。

八橋祐司(10回生)

35回生同窓会開催

平成29年1月2日多治見市宝町にあるルシュールで多治見北高等学校第35回生(1995年3月卒業)の同窓会を開催しました。当日は、恩師の大嶽和好先生、日比野弘美先生、高木雅信先生を含め66名の参加があり、大いに盛り上がりました。
開催のきっかけは、平成27年11月の多治見北高同窓会関東支部総会にたまたま出席していた同級生との会話の中で同窓会やりたいよねと出たことがきっかけでした。半年後の平成28年5月頃から今回の同窓会のために幹事会を立ち上げ準備に取りかかりました。
まず日程は、みんなが集まりやすい正月休みということですぐに決まりました。問題は、同級生の連絡先です。10年以上連絡を取っていないため、同窓会名簿などを頼りに宛先を調べました。
調べてみてわかったのですが、行方不明者が非常に多く、実は自分も行方不明者の一人でした。何度も引っ越しをしているうちに行方不明者となってしまったようです。
文書での通知は、届かない可能性が高いため、あきらめてFacebookやLINEなど使いながら情報を広げる作戦に変更しました。これが以外とうまくいき、なんとか連絡を取ることができました。
幹事会を重ねながら準備を進め、同窓会当日を迎えることができました。会が始まるとあっという間に高校時代に戻ったかのようで、楽しいひとときを過ごすことができました。途中席替えも行い多くの同級生と交流しながら、同窓会は盛況のうちに終了しました。
最後には、幹事へのお礼の言葉もいただき感激するとともに、何年後になるか分かりませんが、次回も開催したいと思いました。もし今回の同窓会に参加できなかった方で、次回の同窓会には是非参加したいという方がみえましたら以下のアドレスまでご一報いただければと思います。
Tajimikita1995@gmail.com
末筆になりましたが、今回の同窓会の幹事でお手伝いいただきました皆様、本当にお忙しい中ご協力いただきありがとうございました。また、同窓会やりましょう!

宮本 賢二(35回生)

衣斐先生を偲ぶ会(多治見北高ハンドボール部OB会)

拝啓 時下ますますご清栄のことと存じます。
去る4月1日、衣斐基夫先生を偲ぶ会を多治見北高ハンドボール部創設時の9回生から12回生で長谷川寿司にて行いました。主役が不在のOB会でしたが、多くの方々にご参加いただき、衣斐先生の思い出を語り合い、また酒の肴にして酌み交わしました。
衣斐先生がいなくても、先生を中心に人の輪ができ新しい繋がりが出来たような気がします。これも先生のお陰だと思いますが、これからもハンドボールで結ばれた仲間を大切にして行きたいと思います。
衣斐先生に感謝!ご冥福をお祈りいたします・・・
敬具

卒業生の今

北高を卒業して40年近くになります。この間、卒業とともに地元を離れてしまった私は、北高の卒業生であることを誇りに思いながらも、ほとんど何も縁を持てずに過ごしてきてしまいました。数人の友人と幾度か会った以外、同窓会のような集まりに顔を出したこともなく、大半の同級生からは、行方知れずと思われているのではないかと気になっていました。

「自主・自律・自学」の精神がしっかり根付いていた北高は、生徒を校則で縛るようなことはせず、生徒の自主性や意思を尊重していました。その考えの基には、生徒に対する「信頼」が流れていたと思います。手に入れた自由を謳歌する以上に、この「信頼」に応えるべき自己研鑚の意識が芽生えたことを覚えています。

それまで野球ばかりしてきた私は、違ったことをしてみたくて、入学と同時にバドミントン部に入部しました。バドミントンは、今でこそ、オリンピックで日本選手が活躍する種目の一つに数えられるようになりましたが、当時は、ややマイナーな部類でした。傍から見ていると案外楽そうに見えるこのスポーツは、実際にやってみるととんでもなくハードなもので、体力強化と足腰の鍛錬のために日常の部活動の大半は走ってばかりいて、帰宅後は、疲れ果てて何もできなかったように思います。それで、2年生になる時に思い切って帰宅部の道を選びました。それからというもの、学校の門を一番先に通り抜けていたような気がします。

初めての一人暮らしを経験した大学生活も大変充実したものでしたが、ここで恩師であるゼミの教授と出会いました。この、メーカー勤務経験のある教授から、「君のキャラはメーカーが一番合う」と何度も諭され、今の会社に入社するきっかけとなりました。

事務系であった私は、これまでに営業部門、管理部門、生産部門など事務職が配属される大半の職場を経験させてもらいましたが、それが今非常に役に立っています。そして、社長になった今、社員への「信頼」を意識した経営を目指しています。

高校生という、人として一番大きく成長する非常に重要な時期を北高で過ごし、恩師から学問だけではない数多くのことを学び、多くの友人と大切な時間を共有することができたことに今更ながら感謝しています。今の私の基礎は、北高時代に培われたと思っています。今回、こうした振り返りをさせていただく機会を与えて下さった関係者の皆様に心から感謝申し上げます。

西戸 徹

 

北高校歌 誕生の思い出

母校多治見北高等学校は、1958年4月に陶都中学校旧校舎(木造2階建て)を利用して開校され、
2年後の1960年に3学年720名の生徒が揃いましたが、この時点では校歌が制定されていなくて寂しい
思いを抱いていました。
1961年の夏休み前に学校長より、「作詞を國學院大學名誉教授金田一京助先生にお願いすることが
決まった」との報告を受け、日頃手にしている国語辞典の監修者である金田一先生が作詞されることに
大興奮でした。
当時、国語科の教諭5名の内の2名が國學院大學の卒業生であり、金田一先生の教えを受けていた
ことから尽力をして頂きました。

同年秋に金田一京助先生が北高を来訪されることになり、その機会に講演会をお願いしたところ快諾
して頂き、生徒会主催による金田一京助先生の講演「人間・石川啄木」が開催されました。
当日、生徒会執行部は玄関前にて金田一先生をお迎えしたが、その時の印象は体は小柄ではあるが
背筋がピーンと伸びていて、御歳79歳とは思えない堂々たる風格を感じました。
講演後校長室での懇談の席で、金田一先生から「作曲は誰に依頼するのか?」との質問があり、校長
先生が決まっていないと報告したところ、金田一先生が「よければ、東六に作曲させようか?」の一言。
校長先生以下生徒会執行部を含む全員が、”東六”が誰なのか解らず一同沈黙でした。
まもなく金田一先生から作曲家・高木東六氏との説明があり、全員二つ返事でお願いをしました。
高木東六氏は、管弦楽・オペラ・シャンソン等のクラシックから映画音楽、童謡、歌謡曲の著名な作曲家
であり、当時NHK「あなたのメロディー」、TBS「家族そろって歌合戦」の名物審査員としてお茶の間で
大変人気があったので大歓迎でした。

1961年の年末、金田一先生が約束された通り、作詞・金田一京助、作曲・高木東六による多治見北高
校歌が届けられ、早速音楽部によるお披露目演奏とテープ収録が行われ、2回生の卒業式に歌うことが
できました。
同窓会等の集まりで北高校歌を歌うたびに、当時の高校生活が懐かしく思い出されます。

3回生 古山 邦男