卒業50年記念修学旅行

我々多北7回生の同窓会は第8回となり、今回の同窓会代表幹事の山田幹雄さんのご厚意により、瑞浪市で経営している平和コーポレーション(株)を使って「卒業50年記念修学旅行」と銘打って企画され、大型観光バスを一台提供して頂き、魅力満載の一泊旅行となりました。

3月26日午前、瑞浪市から出発したバスは、土岐市、多治見市、可児市とメンバーを乗せ、別途集合した総勢51名が、前回(H26.10)、前々回(H24.9)と同様、滋賀県の「エクシブ琵琶湖」に集まりました。
 午後3時頃にホテルに集まったメンバーは、前も参加された方が多くおられたせいか最初から打ち解けて話が弾みました。今回の会場も前と同様、北川義展さんのお世話になりましたが、立派な施設でゆっくりと温泉につかり、その後全員の集合写真を撮り、17時過ぎから同窓会が始まりました。

会は、私の開会挨拶及び司会から始まり、安藤葉子さんの指揮のもと校歌斉唱を行い、そして今年亡くなられた東京の井口(籠橋)淑子さん、多治見の加藤(服部)美和子さん他を偲んで物故会員への黙祷を行いました。次に代表幹事の山田幹雄さんの挨拶に始まり、川崎からはるばる来た伊東正孝さんが乾杯の発声を行い、しばらく歓談の後、クラスごとの近況報告等を聞き、最後に次回は多治見が担当ということで2年後に開催することを約束して会は盛大に終了しました。その後はラウンジ、とかバーではカラオケ大会となり、またまた盛り上がり、その後は部屋に戻って、部屋で話が尽きることなく深夜まで続きました。
 宿泊者の翌日は、美味しい朝食を頂いた後9時前に、二日目の旅程である奈良薬師寺にバスで向かいました。

一日目もそうだったのですが、道中は山田幹雄さんの洒脱なバスガイドで退屈することなく、現地に到着しました。薬師寺新管主の村上太胤さんは、山田さんのJC時代の友人で、我々は特別待遇で息子さんの定運さんに境内の案内をしていただきました。その後、京都に向かい昼食の会場である「今日の台所 月の蔵人」を訪れましたが、会場には同窓生の石田信己さんがわざわざ訪ねてくれました。最後に伏見稲荷大社を観光して帰路につきました。 また、今回も寄付金を募りましたところ 24名 130,500円のご協力を頂きました。多くのご協力を頂き、誠にありがとうございました。本会同窓会の方に60周年記念行事のため7回生として5万円を寄付しました。

また、今回の様子を北川義展さんが映像(DVD約3時間)を撮っておりますので、希望される方は北川さんに直接連絡ください。 それでは、最後になりますが2年後の同窓会には、更に大勢の方のご参加を期待しています。

7回生 加藤誠治

多治見北バスケットボール部同窓会(西尾司先生の会)

バスケットボール部同窓会は、毎年1月3日に多治見のホテル”オースタット”で立食パーティーを行っております。思い返せば、すでに10年以上続けております。当時、バスケット部の顧問だった西尾司先生(現可児工業高等学校勤務)に指導してもらった31回生から43回生までの男女のメンバーが集まっております。

現在は、家庭をもち、なかなか都合がつかない方もみえますが、それでも「今年は行ける!」等、世代を越えて「多治見北バスケット部」というだけで、みんなが一つになれる場が1年に1度あるということは何よりも価値のあることだと思っております。中には、「憧れだったあの先輩が来る!」と、まるで高校生のようにときめく瞬間があったり・(笑)

西尾先生が常々おっしゃていること、それは「多治見北高校のつながりは財産になる!」ということです。多治見北高校を卒業した諸先輩方や後輩達は、現在、多方面で活躍しており、こういった場を通しての出会いが、自分の人生をさらにステキなものにしてくれています。

また、「みんなでバスケもしよう!」ということで、年に何度か多治見の体育館を借りて、みんなで身体を動かすこともしています。子どもを連れてくる先輩、後輩がいたり・・・「なんだかみんな歳くったなぁ~」なんてことも思いますが、何かそれがいいですよね!笑っちゃいませんか?高校生の時のあいつがパパ?!みたいな。

しかし、こうやって集まることで、みんなが元気でいてくれることが分かるし、こういう仲間っていいなと再確認できることが何よりもありがたいことです。また、2018年1月3日に皆様に会えることを楽しみにしております。

“NO 多治見北バスケット部 NO LIFE”

松田 洋和

多北 創立60周年に寄せて

昭和三六年三月、旧陶都中学校の木造校舎を利用して、自主・自立・自学を校訓に創立された多北に、私は昭和四十五年四月に転勤してきました。赴任して間もなく、雨降りに陸上部の練習で廊下を走らせていた時の事 校務員の吉さんにものすごい剣幕でどなり込まれました。そこで木造廊下を練習に利用する利点等、丁寧に説明した結果、納得してもらい、その後雨降りの練習は廊下でやりました。とても生徒思いで優しい一方、いったん注意がはじまると容赦なく怒る人でしたがら強い印象が残っている卒業生も多いかと思います

心に残っていると言えば、一年生の御嶽登山、加子母村渡合でのキャンプ。二年生の萩・広島方面や瀬戸内海の大久野島での修学旅行等。そして球技大会ではこんなことがありました。ソフトボールの決勝で、職員チームと対戦した三年生のチームが敗れ、最後の球技大会なのにと悔し涙を流す様子を見て、生徒の球技大会に掛ける意気込みが並々ならぬものであると痛切に感じました。

そして多北を振り返るには北辰祭を忘れることは出来ません。毎年語り尽せぬ程多くのドラマが生まれ、卒業生の心にそれぞれ思い出として強く残っていることでしょう。盛り上がったエネルギーを冷やすのに私達教師はひと苦労したものでした。冬のサッカー大会は受験を控えた三年生を始め各学年とも大いに盛り上がってクラス一丸となって寒風吹き荒む校庭で応援している姿。またマラソン大会では、最後の走者がゴールするのを拍手で全生徒が迎える光景等今も深く心に残っています。私にとって打てば響く生徒、中には響きすぎる人も”笑い”囲まれて勤務できた十六年間は思いで深く、忘れる事が出来ない教師生活でした。

転勤後も多くの卒業生と縁があり、各学年の同窓会に声をかけてもらったり、一回生から大学一年生まで参加する東京支部会関西支部会にも参加させてもらい、交流を深めています。関東や関西にお住いやお勤めの卒業生の方々、私が言うの差し出がましいかと思いますが、一度足を運んでみては如何でしょうか。新しい出会いがあるかもしれません。

退職して十七年になりますが、新聞、TVでは在校生や卒業生の活躍を見聞きすることも多く、誇らしく思っています。そして街で声を掛けたり、掛けられたりして昔話の花を咲かせています。最後に卒業式依頼顔を合わせたことのない卒業生にも何処かで出会えることを願うばかりです。

多北万歳 松田嘉久

これからもキラキラ輝ける人生を!!

大学は薬学部に行き卒業後は病院の薬剤部に2年半勤務しましたが、結婚し大阪に行き、薬剤師の仕事が見つからない中、臨床検査技師の人出不足補充という話があり資格は大学卒業時に国家試験を受け持っていましたが、実務は何もわからず、一から教えていただきながら臨床試験技師の仕事をする事になりました。仕事に就いたのは昭和50年1月からで、当初は開業医から集めて来た検体の検査で、大学時代の実験の様な試験管内で反応させる用手法でした。

6年程し、勤務先が健康な人の健診センター(人間ドック)と変わり、検査も自動検査機が導入され、その後は目覚ましい医療の発展と共に機械もどんどん開発され検体(血液・尿・便 等)は機会に載せれば結果は短時間で出る様になりました。技術を磨かなければいけなかったのは、見落としが許されないエコー検査(腹部・乳房・頸動脈)です。

結果の判定を出すのは医師で検査した項目についてのみの結果しか言えませんが、その為には技師が見落としのない綺麗な画像を提供するのが必須です。そういう意味で画像検査はやりがいがありました。定年後も仕事を続ける選択もありましたが、60才で仕事は止めました。その後電気的機会を使わない何かをと決めていたのは、子供の頃習っていたヴァイオリンの再挑戦と織物です。

織物を習いに行っている所では染色もしていて自分で染めた糸を使って織る事もあります。他にも味噌・酵素作り等も習い、今では自分で出来るだけオーガニック材料を集めて、色々な物を手作りしています。友人から手ほどきを受けてミツバチの巣箱も手作りして日本ミツバチのハチミツ採取もしましたが、2年前にハチに逃げられたまま今年もハチが入ってくれず、日本ミツバチが少なくなっている現在ですが来年春にはと期待しています。

今一番夢中になって楽しんでいるのは、ヴァイオリンです。個人とアンサンブルレッスンを受けていて、4年程前に、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ12名でグループを作り、市民音楽祭等、出る機会があれば出来るだけ参加するようにして、老人を作り、市民音楽祭等、出る機会があれば出来るだけ参加するようにして、老人ホームにも行っています。フルートやコーラスの方等とも交流が持て、音楽の楽しさを満喫しています。今では仕事をしている時には出会わなっかような方々との交流も増しました。

この先もキラキラ輝ける、楽しい人生をと考えています。北高は同窓会に関東支部・関西支部があり、大阪にいる私は同窓会時に会うだけではなく先輩・後輩の方との交流が持てている事に感謝しています。

島内貴美(8回生)

第16回生 還暦同窓会

2017年1月3日、第16回生の3年ぶりの還暦となる年に同窓会を開催しました。県外に居住している方も多いことから、今まで多治見市内で開催していた同窓会ですが、名古屋駅近くのキャッスルホテルで開催しました。生憎今年は曜日の並びが悪く、公務員の方々は翌日が仕事始めとなっていたためか、大人数というわけにはいきませんでしたが、それでもこの会を楽しみにしている方々に参集していただき、斉藤 誠 先生、松田 嘉久 先生、伊藤 信子 先生の恩師3名をお迎えして楽しい会を開催することができました。

柘植容子さんの迷司会の元、前回幹事長の伊藤守君の乾杯発生の後は、恩師の近況報告に始まって、勝手ばらばらの歓談の後、参加者の1分間スピーチによる現状報告が行われました。さすが、みなさん笑いのつぼを知ってみえるので、会場は笑い、笑い、笑いで溢れかえっていました。中でもダントツはやはり我らが松田先生。松田先生のこの日のエピソードを紹介します。

この会のために中央線に乗ったところ、電車の中で同窓生に出くわし、同窓生に「松田先生はどこにいかれるんですか?」と聞かれたところ、「同窓会に出席する」と答えられたそうです。この同級生は自分たちの同窓会に出席するものと勘違いをして、松田先生を名古屋マリオットアオシアヘ連れて行ってしまいました。松田先生は会場に着いたところで違うことに気がつき、あわててキャッスルホテルに向かわれました。おかげでちょっと遅刻です。でも、この会終了後は次の同窓会のために了山へ向かわれました。タフです。

最後は、次の幹事長の羽柴君の挨拶で会を閉めました。ちなみに今回の幹事長の私は多治見高校に勤務しており、選抜甲子園大会に選ばれた際は、「同情するなら金をくれ」とお願いしました。(応援していただいた方々、ありがとうございました。)

16回生:土本 泰